大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)4258号 判決 1971年2月08日
原告
土井栄子
代理人
由良数馬
被告
富士火災海上保険株式会社
代理人
阪口春男
外二名
主文
一、被告は原告に対し金二、六四五、〇〇〇円および内金二、三九五、〇〇〇円に対する昭和四二年八月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用中、四、〇五〇円は原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
四、この判決の第一項は仮りに執行することができる。
事実《省略》
理由
一(保険契約の締結および事故の発生)
請求原因(一)の事実および同(二)の事実については当事者間に争いはない。
二(訴外藤崎の責任に基く直接請求の可否)
請求原因(三)の(1)の事実については当事者間に争いはない。そこで、原告主張のように保有者の責任の発生とは無関係に、運転者に対する原告の損害賠償請求権を前提として自賠法一六条による損害賠償請求ができるかどうかについて判断する。
ところで、自賠法一一条は、「責任保険の契約は、第三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生した場合において、これによる保有者の損害及び運転者もその被害者に対し損害賠償責任を負うべきときのこれによる損害を保険会社が填補することを約し、保険契約者が保険会社に対し保険料を支払うことを約することによつてその効力を生ずる。」と規定しているが、右規定によると、「第三条の規定による保有の責任が発生した場合において」が保険事故たる「これによる保有者の損害」および「運転者もその被害者もその被害者に対し責任を負うべきときのこれによる損害」に限定的にかかつていることは文理上明らかであり、また同条が保有者の責任が発生した場合に運転者をも被保険者とし、その賠償責任を保険の対象にしたのは、保有者のみを被保険者とすると、保有者の自賠法三条による損害賠償責任とならんで運転者も民法七〇九条の責任を負うことがあり、かつ、その責任の原因が専ら運転者の行為にある場合に、運転者が保有者から求償され、あるいは保険会社から填補額を代位により求償されることがあつて単なる労働者に過ぎぬことの多い運転者に苛酷な結果を生じ、さらにまた、被害者が運転者に請求したために運転者が損害の賠償をした場合は、責任保険制度がありながら、一般に自動車の運行について利益を有せず、かつ資力の乏しい運転者のみが最終的な責任を負いその損失が全く填補されないという不合理な結果を生ずので、運転者をも被保険者に加え、その損害を保険の対象にすることにより保険会社の求償を封ずるとともに、運転者の損失をも自賠責保険により填補しようとしたものであることから考えると、運転者が保有者の責任の有無とは無関係に保険会社に対し損害の填補請求権を有するものでないことは明らかである。
そして、自賠法一六条は、「自賠法三条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生したときは、被害者は政令で定めるところにより、保険会社に対し損害賠償額の支払をなすべきことを請求することができる。」旨規定しており、右規定の文言および、この被害者の直接請求権は、保有者責任が発生したとき本来損害賠償請求の当事者でない保険会社を保険金額の限度において保有者と同じ地位に引き出し、被害者は保有者に対する場合と同じ要件のもとに損害賠償の請求をすることができることとして賠償額の支払を迅速、確実にし被害者の保護をはかるために設けられたものであり、また、同条四項によると保険会社は被害者からの直接請求の場合に限つて、被保険者の悪意によつて生じた損害(かかる損害については、保険会社は自賠法一四条により免責されている。)についても支払に応じる義務が課され、その代り、保険会社は政府の保障事業に対して補償を求めることができることになつていることから考えると、保険会社は、右の被保険者の悪意のときの特別の場合以外は、本条の被害者の直接請求権が認められたことにより被保険者に対する場合以上の義務が課されているとは考えられない。
したがつて、保有者に自賠法三条による損害賠償責任が発生することは、被害者の直接請求権の発生要件であり、藤崎に民法七〇九条による損害賠償責任があるとしても、ただちに原告の直接請求権が発生するものではない。
三(訴外定吉の自賠法三条に基く責任)
定吉が本件自動車を所有してこれを自己のために運行の用に供していたことについては当事者間に争いはない。ところが、被告は、本件事故車の保有者である定吉は原告の夫であり、亡晴美の父親であるから、定吉 原告および晴美間では法律上、損害賠償請求権は発生しないか、少くともこれを行使し得ないものであると主張する。
夫と妻、または親とその未成年の子で構成している家族生活共同体内部の問題については、共同体の内部で愛情と道義に基いて解決されることが望ましく、法が外部からみだりに介入することは差控えるべきであつて、この意味で右のような基礎的家族生活共同体の内部は「法律は家庭に入らず」の法諺が妥当する分野であるということができる。そして、実際上も、右のような共同体内部で加害行為が起つた場合は、被害者の受けた損害を共同体内部の経済的、精神的負担で解消するのが通常で、被害者が共同体の分裂の危険をおかしてまで加害者を相手に損害賠償を訴求するようなことはほとんどあり得ないし、また、右のような関係にある加害者と被害者間には親族としての協力扶助義務(民法七三〇条、七五二条、七六〇条、八二〇条)があるところから、加害者が被害者を扶助する義務のある者であるときは、被害者は、少くとも、その受けた傷害の治療や、その間の生活等に要する財産的損失を加害者の協力扶助義務の面で直ちに填補してもらえる関係にあり、被害者が加害者に対して、損害賠償を訴求する実益はないということもできよう。
しかしながら、近代法においては、夫と妻、親と未成年の子の間といえども、それぞれ独立の人格者とされ、別個の権利義務の主体となり得るのであつて、わが民法もこの例外ではなく、夫婦間においても、それぞれ特有財産を持つことができるのであつて、(民法七六二条)、この夫婦別産制を前提として民法七六〇条以下に婚姻費用の分担義務、家事債務の連帯責任等の夫婦財産制を法定し、また、未成年の子の財産については親権者が管理権を有することになつているのである。しかし、親権者の管理権といえども無制限のものではなく民法八二四条以下に定める制約に服し、また義務を伴うものであつて、親権者が管理の名のもとに子の財産を不法に処分するようなことがあれば、家庭裁判所にその親権者の管理権の喪失宣言を請求して子の財産を守ることができ、また配偶者の一方が扶助を理由に他方の財産を浪費するようなことがあれば、他方の配偶者は家庭裁判所にその配偶者の準禁治産宣言を請求してその財産を侵害から守ることも可能であり、さらに、わが法制上、夫婦あるいは親と未成年の子の間の訴権を制限するような制度は存しないから、特有財産を不法に処分されたような場合には損害の賠償を訴求することも可能である。
もつとも、右のような親族間での加害行為が過失によつてなされた場合は、違法性を欠くとみなされるべき場合が多く法的救済の問題は生じないであろうが、過失による加害行為であつても、違法性が肯定され不法行為が成立する場合は、それが親族間の過失による加害行為であるというだけで法的救済を拒否する理由にはならないから、原則として被害者は損害賠償を訴求することができ、ただ、事情によつては権利濫用の問題が生じるだけであるといわざるを得ない。
円満な夫婦あるいは親と未成年の子の間において損害賠償を訴求することは実際上ほとんどあり得ないであろうが、権利者が権利を行使した場合と、行使を差控えたことによつて得る利益とを較量のうえ権利の行使を差控えるのが一般であるとしても、それだけでは特定の権利者が選択した権利の行使を制限する理由にはならないし、また、「法律は家庭に入らず」の法諺も、前記のとおり家族生活共同体の内部の問題について法がみだりに外部から介入することは差控えるべきであるという限度において妥当性が認められるのであつて、もし右法諺を理由に共同体の構成員からの救済を拒むようなことがあれば、家族共同体の内部は力によつて支払されることになるであろう。ただ、夫婦および同居の親族間には互助義務があり、相互に共同体としての家庭生活を円満に保持する義務があるから、夫婦あるいは同居の親族間で損害賠償請求権を行使することは通常の場合には右義務に違反し、権利の濫用になることが多いと考えられるが、その行使が家族共同体保持の目的に反しないかぎりそれを行使することは当然許容される。しかして、保険会社に対し自賠法一六条一項により損害賠償額の支払を求める前提として被害者が保有者たる配偶者ないしは親族に対して同法三条に基く損害賠償請求権を行使しても家族共同体を破壊するおそれは全くないから、共同体保持の目的に反しないこというまでもない。
そして、本件の直接の加害行為は被害者晴美とは親族関係のない藤崎によつてなされたもので、不法行為の成否につき近親者間の加害行為としての考慮を容れる余地は存しないから、本件事故が不法行為を構成することもちろんであり、したがつて、定吉は本件自動車の保有者として自賠法三条に基き本件事故による損害の賠償責任があり、原告が損害賠償請求権を行使するについて障害事由は存しない。
ところで、右賠償すべき損害のうち、現実に出費を要した損害が含まれることはいうまでもなく、また晴美の死亡に伴う逸失利益は現実の出費ではないが近親者にけその請求が許されないとすべき理由はないが、原告から定吉に対する慰謝料の請求が許容されるかどうかは検討を要するところである。けだし、夫婦間において過失による不法行為が発生したとしても、それが夫婦間の円満な共同生活の維持に致命的な影響をもたらすことなく、その後も夫婦の円満な共同生活が相当期間続けられているときには、被害者たる配偶者は右不法行為によつて蒙つた精神的損害を忍受すべきであつて慰謝料請求権は発生しないが、少くとも被害者が加害者たる配偶者に対する宥恕の意思を確定的に表示しているものとして慰謝料請求権は消滅していると解し得ないでもないからである。しかし、本件では直接の加害行為は前記のとおり親族関係のない藤崎によつてなされたものであり、同人の不法行為によつて発生し、同人が賠償義務を負う損害について、定吉が加害自動車の保有者として自賠法三条により同人と不真正連帯の関係で賠償義務を負つているものであるから、本件については、原告の被告に対する損害賠償請求権の行使が許されるものである以上、さらに慰謝料請求権の存否について加害者と被害者の身分関係の特殊性を考慮する必要は存しない。
四(原告の被告に対する直接請求)
自賠法一六条一項の損害賠償額の支払の請求(直接請求)は、同法三条による保有者の責任が発生したときに被害者に対して認められるのであつて、被害者の請求である以上、同法一六条二項の規定によつて義務を免れることがあるほか、これを制限する規定は存しない。そして、右にいう被害者とは、身体を害された者本人、生命を害された者の損害賠償請求権を相続した者、民法七一一条により慰謝料請求権を有する者および治療費出損者等の人身事故による損害の出損者をいうのであるが、保有者と被害者との間に親子夫婦関係がある場合を除外すべき理由は見出すことができない。
ところで、被告は、親子、夫婦間における損害賠償請求権は行使が予想されないから、かかる損害賠償責任は自賠責保険の対象とならないと主張する。たしかに、権利行使の予想されない損害賠償責任は事実上存しないと同様であり、これを保険の目的とするには適しないとも考えられるが、自賠責保険の対象は自賠法一一条により「自賠法三条による保有者の損害賠償の責任が発生した場合において、これによる保有者の損害」とされているほか、現行法上前記のような責任を特に除外する規定はないから、前記のとおり定吉に損害賠償責任がある以上被告は原告に対し同法一六条に基き後記賠償額を支払う義務があるといわざるを得ない。
五(権利の濫用の主張について)
被告は、原告と定吉との夫婦共同生活は円満に維持継続されているのであるから、原告に直接請求権を認めると受領した金員は原告夫婦の懐中に入り共同の資に充てられることは明らかであり、保有者たる定吉は賠償義務を免れているにもかかわらず、実際上保険給付を受けたと同様の結果を招来するので、原告の請求は公平の理念に反し権利の濫用である旨主張する。
<証拠>によれば原告夫婦は現在も円満に夫婦共同生活を維持、継続している事実が認められる。しかしわが民法上、夫婦といえども独立の人格者とされ原告が直接請求権の行使によつて受領した賠償額は民法七六二条により原告の特有財産となるのであるから、決して原告夫婦の共同の懐中に入るのではない。実際はこのようにして取得した財産が取得した者の特有財産になるという観念は、円満な夫婦共同体内では稀薄であることは確かであるが、受領した損害賠償額をいかに処分するかは原告の自由であり、法の介入する余地はないのであるから、原告夫婦の共同の生活の資にあてられる可能性があるというだけで原告の権利の行使が濫用になるということはできない。まして、本件は、前記のように直接の加害行為は原告と親族関係のない藤崎によつてなされたものであるから、加害者の直接請求を許すという吾人の倫理観念に反する結果を紹来することはなく、本件のような被害者に直接請求を認めることこそ自動車について保険契約の締結を強制し、自動車事故による損害賠償を保障して被害者の保護をはからんとする自賠法の立法趣旨に合致するものというべきである。
したがつて、被告の主張は理由がない。
六(損害の発生)
(一) 晴美の逸失利益
(1) 就労可能年数
<証拠>によれば、晴美は本件事故当時満三才の女子で生前その身体に格別の障害がなかつたことが認められ、右事実および第一一回生命表によると満三才の女子の平均余命は69.57年であることに徴すると、晴美は原告主張のとおり少くとも高等学校卒業年令である一八才から五五才に達するまで三七年間就労することが可能であつたと推認できる。
なお、被告は、一般に女子は遅くとも二五才に達するまでに結婚するので、晴美の稼働期間を二五才までとするのが相当であると主張するが、晴美が女性として将来結婚の機会を持ち家事労働に従事することがあるであろうことは被告主張のとおりであるとしても、家事に従事する主婦といえども、その労働により一家の家事を支え、外において就労する家族をして家事の煩労を免れしめるのであるから、その労働をもつて経済的に無価値であるとか、その経済的利益を評価することができないものとすることはできない。しかして、昭和四五年当時の大阪市における家政婦の一日当りの給与が一、五〇〇円程度であることは裁判上顕著な事実であり、右事実に徴すると、五五才に達するまでの主婦の家事労働を女中または家政婦を雇用して処理するとすれば、一八才の女子の平均賃金を下らない費用を要すると認められるから、五五才に達するまでの主婦の家事労働は少くとも右程度の経済的価値を有するものと考えられる。したがつて、晴美が女性として将来結婚の機会を持ち得るであろうことは前記認定の妨げとはならない。
(2) 収入
労働大臣官房労働統計調査部編昭和四二年労働統計年報によれば、昭和四二年度における一八才の女子労働者の平均年間給与総額は、二五二、〇〇〇円であることが認められ、右事実に徴すると亡晴美は前記就労期間中毎年右金員を下らない収入ないしは経済的利益を継続して得ることができたはずであると推認される。
(3) 生活費
晴美の生活費は右収入の五〇パーセント、すなわち一二六、〇〇〇円を超えないものと認めるのが相当である。
(4) 養育費控除の主張について
被告は定吉が父親として当然支出しなければならなかつた養育費を逸失利益額から損益相殺により控除すべきである旨主張する。しかし、損益相殺の対象となるものは、賠償請求権者が損害を受けたと同時に損害賠償の原因と同一原因によつて賠償請求者本人に生じた利得でなければならないものである。本件の場合は、逸失利益の損害を受けたのが晴美であり、晴美の死亡により養育費の支出を免れたのは、定吉および原告であるし。たがつて、晴美が養育費の支出を免れたことによる利得をしたことにはならないから、養育費は損益相殺の対象とはならない。
晴美に対して扶養義務を負つていた原告が晴美の死亡によりその義務を免れ他方で晴美の逸失利益請求権を相続したのであるから、損害相殺の法理を準用して養育費を控除すべきであるとの被告の主張には傾聴すべき点があるが、本件では、実際に養育費を負担すると考えられる者は原告ではなくて父親である定吉であり、また、その点は措くとしても、逸失利益がかなり正確に予想できる場合は別として、その予測が困難で控え目に認定することによつてはじめて蓋然性が得られる本件のような事案において、控除額についてのみ正確性を期することは全体としての逸失利益額についてかえつて蓋然性を失うおそれがあるので、損益相殺の対象とならない養費を取えて控除することは相当でない。
(5) 純収入
右(2)と(3)の差額、一ケ年一二六、〇〇〇円が晴美の純収入である。
(6) 逸失利益額
(イ) 中間利息の控除法について
被告は逸失利益の中間利息の控除法について、ホフマン式計算方法は稼働期間が長期の場合不合理な結果を生ずるから複利計算によるライプニッツ式計算方法により算出すべき旨主張する。
確かにホフマン式計算方法によると被告主張のような不合理な点もあるが、元来死者の逸失利益の算定は損害評定の一方法にすぎないのであつて、その算定の一要素に過ぎない計算方法についてのみ正確性を強調してみたところで、全体としての算定が正確になるという担保はなく、計算方法の差異に従つて生ずる若干の金額の差異は無視しても差支えなく、ことに、本件では事故時から稼働開始までの中間利息をも控除するため、被告主張のようなホフマン式計算方法の矛盾はいまだ現実のものとして露呈することはないので、従来実務上一般的に使用されているホフマン式計算方法によつた他の被害者との取扱上の公平を失う危険をおかしてまで、ライプニッツ式計算方法を採用する必要性は乏しいと考える。
(ロ) 亡晴美の右就労期間中の逸失利益の本件事故当時における現価は一、七九〇、〇〇〇円(ホフマン式算定法により年毎年金現価率による。ただし一〇、〇〇〇円以下切捨て。)である。
算式 一二六、〇〇〇円×〔二五、二六一四(五二年)−一〇、九八〇八(一五年)〕=一、七九九、三五五円
(7) 権利の承継
亡晴美の相続人は、原告および定吉であることは当事者間に争いがなく、したがつて、原告は、晴美の死亡により晴美の定吉に対する逸失利益請求権を法定の相続分に応じ二分の一に相当する金八九五、〇〇〇円を相続したものと認められる。
なお、原告は、定吉からその相続分の贈与を受けたので、晴美の逸失利益請求権全部を承継したと主張するが、定吉は晴美の相続人としてその権利を相続すべき立場にあると同時に本件自動車の運行供用者として被害者である晴美に対し損害賠償義務を負担すべき立場にあるから、右逸失利益請求権のうち定吉の相続分は晴美の死亡により債権および債務が同一人に帰属し混同により消滅しているので、定吉の原告に対する逸失利益請求権の贈与はその効力を生ずるに由ないものである。
(二) 慰謝料
<証拠>によれば請求原因(四)の(2)記載のとおりの事実が認められ、その他本件証拠上認められる諸般の事情を斟酌すると、原告の慰謝料は一、五〇〇、〇〇〇円を相当と認める。
七(過失相殺の主張について)
<証拠>によると、本件事故は原告の長男幸一(六才)、次男民男(四才)および晴美が路上で遊んでいた際に発生したものであることが認められ、満三才の幼児を成人の監督者が附添うことなく路上で遊ばせていた点において、父である定吉および母である原告において監護上の注意義務を尽したとはいいがたい点があるといわざるを得ない。そして、監護義務者たる父母の過失は被害者側の過失として損害賠償額を定めるに当つて斟酌すべきであるが、前掲証拠によると、藤崎は事故車のまわりに雇主たる原告夫婦の子供の晴美とその兄二名が遊んでいるのを認めており、しかも、事故車を発進させるときには晴美の兄二名が事故車の荷台に乗り込んでいるのを容認して発進したということが認められる。そうすると、藤崎は、晴美が兄と一緒に事故車に乗ろうとしたり、あるいは兄を慕つて同車に接近したりするであろうことは容易に想像できたはずであるのに、晴美の行動に注意して安全を確認することなく事故車を発進させたもので、右過失の程度は高いといわざるを得ない。他方、前掲証拠によれば、本件事故現場は住宅街の中の狭い裏通りで車輛の通行の稀れな場所であり、しかも晴美は一人で放置されていたのではなく、十分とはいえないにしても自動車の危険性について一応の弁識能力があると認められる兄と一緒に遊ばせていたことが認められるから、原告らの監護上の過失は比較的軽微であるということができ、右過失はいまだ損害賠償額算定上斟酌すべき程度の過失とはいえない。
八(被告の賠償責任額)
次に原告は被告に対し以上の損害金全部を請求することができるかどうかについて考えてみるに、自賠法一六条一項の直接請求において、被害者の相続人が数人ある場合のように複数の請求権者がある場合、各請求権者の保険会社に対して請求し得べき額は、保険金額を各請求権者にその損害額に応じて分割した額の範囲内に限られ、したがつて、本件の場合、原告の請求し得べき額は保険金額の二分の一の範囲内に限られると解することもできないではない。
しかし、この被害者の直接請求権は前記のとおり本来損害賠償の当事者でない保険会社を保有者と同じ地位に引き出し、保有者に対する場合と同じ要件で損害賠償の支払の請求をすることができるようにしたものであり、この被害者の直接請求があつた場合、被害者が被保険者から賠償金を受取り、保険会社が保険金を被保険者に支払つたときに同条二項により支払額の限度で支払の義務を免れる場合および同法一九条の二年の消滅時効が完成した場合のほかには保険会社が義務を免れる規定は存せず、右以外においては、保険会社がいまだ保険金を支払つていなくても、被害者と被保険者との間に示談が成立して被害者が賠償金全部を受取つており、保険金を被保険者に支払うべき事由が明らかな場合、保険会社は自己の責任において被害者の直接請求を拒絶することができると解することができるだけで、他には保険会社が義務を免れ得べき事由は見出し得ない。しかして、定吉の損害賠償請求権が混同により消滅したというだけでは右支払拒絶事由の何れにも当らず、むしろ、かかる場合定吉の損害は混同により本件自賠責保険の対象となる保険事故から脱落したとみるのが相当であるから、他に請求権者の存しないこと明らかな本件においては、原告の請求額が保険金額の範囲内である以上(本件自賠責保険契約の保険金が三、〇〇〇、〇〇〇円であることは、当裁判所に顕著である。)、被告が原告の請求の全部または一部を拒絶し得べき事由は存しないといわなければならない。
九(弁護士費用)
原告は、被告が原告の自賠法一六条一項による損害賠償額の請求を拒絶したのは、不注意に自賠法の解釈を誤つて不当に抗争したもので不法行為に該当するから、被告は原告の支払つた弁護士費用の賠償義務があると主張する。
しかし、何人も裁判を受ける権利を有することは憲法三二条の明定するところであり、他からの訴追に対して取えて応訴し、裁判による黒白の判定を求める行為は、法律上認められた正当な権利であるから、それが濫用にわたらない限り正当な防禦権の行使として許容されると解すべきところ、夫婦間、親子間において、不法行為に基く損害賠償請求権が発生するかどうかについては、理論上疑義があるとされ、これまでの判例においても積極、消極双方あつて確立した判例というべきものは存在せず、また、保険会社の自賠責保険の取扱上の従来の一般的慣例としては、保険金の支払をしないことになつていたものであることは、当裁判所に顕著であるから、被告が原告の直接請求に対して取えて応訴し、損害賠償金支払義務の有無につき裁判所の確定判断を求める態度にでたことは、違法性ある不当な抗争行為であるとはいい難い。
しかしながら、原告は、その支出を余儀なくされた弁護士費用は、本件事故と相当因果関係ある損害として、ないしは、被告の債務不履行と相当因果関係のある損害として賠償を求めているものともみることができる。
被告が原告の自賠法一六条一項による直接請求を拒絶したことは当事者間に争いがなく、被告において原告の直接請求を拒絶し得べき事由の存しないこと前記のとおりであるが、本件事故による損害の直接の賠償義務者ではなく被害者に対し自賠責保険の保険金の直接支払義務を負担するにすぎない被告が損害賠債額の支払を拒絶したことによつて支出を余儀なくされた弁護士費用が事故と相当因果関係にある損害であるとただちに断定することはできない。
しかし、自賠法一六条一項に基く被害者の直接請求権は、事故自動車の保有者と保険会社との間に自賠責保険契約が締結されており、その保有者に自賠法三条に基く責任が発生した場合は、被害者が直接保険会社に対して保険金の限度において損害賠償額の支払を求めることのできる権利として被害者に法律上当然に認められた権利であつて債権債務の発生につき事故車の保有者と保険会社との間の自賠責保険契約が介在しているが、不法行為を原因として発生したその不法行為の被害者の請求権であること、および不法行為者自身に対する損害賠償請求ではないということは、保有者と運転者とが異る場合の自賠法三条に基く保有者責任ないしは民法七一五条に基く使用者責任と変りはない。そして、原告が被告の右支払拒絶にあつてこれをそのまま放置すれば短期時効(自賠法一九条)にかかつてその権利は消滅する筋合にあり、これを阻止し自己の権利を擁護するためには訴を提起する以外に方法はないと認められるところ、訴を提起し追行するためには高度の専門化された技術を必要とし、一般人としては弁護士に委任しなければその目的を達成することがほとんど不可能に近いという事情は、その権利が自賠法三条に基く保有者責任ないしは民法七一五条に基く使用者責任であると自賠法一六条一項に基く保険会社に対する直接請求権であることによつて差異はないし、また、権利の発生につき契約関係が介在するとしても、それは被害者が関与したものではなく、かつ、右契約関係は自動車の保有者に罰則をもつて締結を強制されているものであるから、弁護士費用の賠償請求について自賠法一六条一項に基く被害者の直接請求の場合だけ異別に扱うべき理由にはならないと考えられる。
以上の次第で、現在一般的に弁護士費用の賠償請求が認められている自賠法三条に基く保有者に対する損害賠償請求および民法七一五条に基く使用者に対する損害賠償請求の場合と取扱いを異にして、自賠法一六条一項の直接請求の場合だけ弁護士費用の賠償請求が認められてはならない実質的な理由は見出し得ないから、本件訴訟追行のために要した弁護士費用のうち、事案の難易、認容額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる範囲のものは、本件事故と相当因果関係に立つ損害であると解するのが相当である。
そして、<証拠>によると、原告は弁護士由良数馬に本訴の提起と追行を委任し、その費用として同人に三〇、〇〇〇円を支払つたほか一五〇、〇〇〇円の支払を約し、報酬として勝訴額の一〇パーセントの支払を約したことが認められる。そこで、右事実および本件事案の難易、前記認容額、当裁判所に顕著な大阪弁護士会報酬規程その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告が被告に対し賠償を求め得べき弁護士費用の額は二五〇、〇〇〇円とするのが相当である。
一〇(結論)
そうすると、被告は原告に対し二、六四五、〇〇〇円および内弁護士費用を除く二、三九五、〇〇〇円に対する請求日(原告が被告に対し直接請求をなし、被告がこれを拒絶したことは当事者間に争いがなく、右請求日が昭和四二年八月二九日であるとの点は、これを被告において明らかに争わないので自白したものとみなす。)たる昭和四二年八月三〇日から支払ずみに至るまで民法所定五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用(貼用印紙額のうち、前記認容額に相当する貼用印紙額をこえた四、〇五〇円についてのみ原告の負担とする。)につき、民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき、同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(本井巽 笠井昇 中辻孝夫)